学生のころ、ハイデガーを読もうとして挫折したことがある。
難しかった、という記憶だけは鮮明に残っている。「存在」「存在者」「現存在」「世界内存在」と、似たような言葉が次々に現れ、それぞれに日常語とは少し違った意味が与えられる。何をわざわざそんなに難しく言っているのか、当時の私にはよく分からなかった。
十年以上経って、仲正昌樹『ハイデガー哲学入門――『存在と時間』を読む』を読み直してみると、その違和感は意外なほど残っていた。
ただし今回は、分からないまま通り過ぎるのではなく、まず疑ってみることにした。
「存在者」と「存在」を分ける必要はあるのか
ハイデガーは、「存在者」と「存在」を区別する。
存在者とは、個別に存在しているものだ。木、石、人間、机、ハンマー。そうした「何か」が存在者である。
一方で「存在」は、それらを全部集めた総体ではない。「木がある」と言うときの、木ではなく、その「ある」のほうが問題になる。
仲正の説明によれば、ハイデガーは、物質の構造や宇宙の成立過程がどれほど明らかになっても、それによって「存在するとはどういうことか」が明らかになったわけではない、と考える。個々の存在者について知ることと、「存在」そのものを問うことは別なのだ。
しかし私は、ここで早くも引っかかった。
「木がある」
「数字がある」
「痛みがある」
「正義がある」。
日本語ではすべて「ある」と言う。しかし、その様相は明らかに違う。
物理的なものについて「ある」と言うなら、それは空間と時間の中に何らかの仕方で位置を占めている、とかなり明確に言えるのではないか。一方、数字や正義のようなものについて「ある」と言えば、話はたちまち形而上学的になる。
ならば、それぞれを分けて論じればよいのではないか。
わざわざ、その背後に「存在」という巨大な問いを立てる必要があるのだろうか。
ハンマーは、まず「物体」として現れるのか
そこで出てくるのが、ハイデガーの有名な道具の議論である。
たとえば、ハンマーを使って釘を打っている。
このとき私は、まずハンマーを「長さ何センチ、質量何グラム、木と鉄によって構成された物体」として認識し、そのあとで「これは釘を打つために使える」と判断しているわけではない。
実際には、ほとんど意識することなく使っている。
ハンマーはすでに「釘を打つためのもの」として、釘や板や仕事といった「何のために」の連関の中に置かれている。主体が完成した物体を認識し、そのあと用途をゼロから付け加えるのではない、というのがハイデガーの主張である。
そしてハンマーが壊れる。
それまで滑らかに働いていた「何のために」という関係から外れたとたん、ハンマーそのものが妙に目立ち始める。
そこで初めて、それは「ただ目の前にある物体」のように現れてくる。仲正は、ハイデガーが、こうした眼前的な物体としてのあり方よりも、「~のために」という実践的連関の中にある道具としてのあり方を根源的なものとしている、と説明する。
なるほど。
しかし、私はこの例にすぐには納得できなかった。
ハンマーには、ハンマーになるまでの歴史がある
そもそもハンマーは、「釘を打つためのもの」として最初から世界に存在していたわけではない。
人間が何らかの用途のために材料を選び、重さを考え、柄の長さを決め、加工した結果として成立した人工物である。
質量や形状や材質は、日常的にハンマーを使っているときには意識されなくなっているだけで、ハンマーが成立するまでの過程ではむしろ不可欠だったはずだ。
だから、
「普段は用途が前景化し、物理的構成が後景化している」
という経験の記述は分かる。
もちろん、これはそのままハイデガーへの反論にはならない。
彼が問題にしているのは、「ハンマーが歴史的にどのように製作されたか」という発生の順序ではなく、完成したハンマーと私たちが日常的に出会うとき、どのような仕方で経験しているかという構造だからだ。
それでも私は、生成の歴史をいったん脇に置いたうえで、現在の経験における「用途の連関」を、より根源的な存在の仕方とまで呼ぶことには少し躊躇する。
人工物でなくても、似た疑問は残る。
たとえば道である。
最初から「ここは通るための道である」という本質があったから、人がそこを歩いたわけではないだろう。
人が通る。
また誰かが通る。
草が倒れる。
地面が踏み固められる。
さらに人がそこを通る。
そうして、やがて「道」ができる。
「道だから歩く」だけではない。
「歩くことによって、道が生まれる。」
そう考えるなら、用途や意味は初めから完成しているのではなく、人間と世界との反復的な関係の中で生成している。
ここで私は、ハイデガーのいう「存在の仕方」という言葉を、もっと普通の言葉に置き換えたくなった。
「それは『関係の仕方』なのではないか。」
赤瀬川原平と「超芸術トマソン」
この話をしていて思い出したのが、赤瀬川原平の「超芸術トマソン」と路上観察学会だった。
赤瀬川原平は、都市の中に残された奇妙な物件に目を向けた。
かつては何らかの用途を持っていたはずなのに、その用途だけが失われ、物体だけが妙な姿で残っている。そうしたものを街の中から発見し、観察していく。
その実践は『超芸術トマソン』にまとめられ、その後、藤森照信や南伸坊らとの路上観察学会へと展開していった。
私はこういうものが好きで、一時期、一人で街を歩きながら、気になった無用の物体を写真に撮っていたことがある。
本来なら気にも留めないような金具や金属片が、用途を失った途端に急に変なものに見えてくる。
面白かったり、妙にかわいそうに見えたりする。
しかし、その物体そのものが変化したわけではない。
変わったのは、私たちとその物体との関係である。
「看板を支えるための金具」
という連関から外れ、
「かつて役割を持っていたのに、いまは取り残されているもの」
という別の連関に入った。
さらにカメラを向ければ、
「写真に撮りたくなるもの」
になる。
ここで重要なのは、用途が失われても、それが「裸の物体」になったわけではないということである。
裸の物体なんて、経験できない
むしろ、ここから私は逆のことを考えるようになった。
「裸の物体など、そもそも経験できないのではないか。」
ここで「裸の物体は存在しない」というのは、何らかの物理的実体が人間とは独立して存在しない、と主張したいわけではない。
私が言いたいのは、「私たちの経験の中に、何の関係にも置かれないまま『裸で』現れる物体などあるのだろうか」、ということである。
何の関係も与えられず、認識の網の目にも、言語の網の目にもかからず、ただ物質そのものとして現れるもの。
そんなものを、私たちは経験することができないのではないか。
ここでいう「言語」は、日本語や英語のような個別言語だけを指しているのではない。
私は学生時代から、もっと広い意味での言語活動、すなわち langage を考えてきた。
私にとってlangageとは、否性にもとづいて差異を作り、世界を分節し、関係の網を立ち上げる機能である。
何かが「これ」であるということは、同時に「それではない」という差異が生じることでもある。その切り分けによって、私たちの世界は形を持ち始める。
だから、用途を失った金具でさえ、
「無用なもの」
「過去を持つもの」
「かわいそうなもの」
「面白いもの」
として、すでに新たな関係の中に置かれている。
つまり起きているのは、
「意味のあるもの → 裸の物体」
ではない。
むしろ、
「関係網A → 断裂 → 関係網B」
である。
そう考えると、ハイデガーの道具論も少し違って見えてきた。
もしハイデガーにとっての「存在の仕方」が、私が「存在者と世界との関係の仕方」と呼びたいものを含んでいるのなら、それほど大きな対立はないのかもしれない。
問題は「存在」という言葉の大げささではなく、私たちが対象から独立した主体として世界を眺め、そのあとで物に意味を貼り付けているわけではない、という点にある。
私たちは最初から、関係の網の中にいる。
ハイデガーが「世界」と呼ぼうとしているものの一端は、そこにあるように思える。
関係の網を張り替える――そこまでは考えていた
そしてこの話は、私自身が学生時代から考えてきた芸術論へとつながる。
私にとって芸術活動とは、絵画や彫刻、音楽といった既成の芸術ジャンルだけを意味するものではなかった。
もっと広い、人間の創作活動そのものに近い。
langageによって差異が生まれ、関係が生まれ、世界が立ち上がる。
その意味では、人間は生きながら絶えず世界を作っている。
だから私の立場を徹底すれば、人間の創作活動はすべて、広い意味で芸術活動になる。
これは学生時代にも指摘された。
「それでは、すべてが芸術になってしまいませんか」
私はそのとき、
「その通りです」
と答えた。
そして当時の私は、狭い意味での芸術についても、すでにもう一段先まで考えていた。
日常生活の中では、世界を成り立たせている分節や関係は透明になっている。
椅子は座るもの。
道は歩くところ。
金具は何かを固定するもの。
われわれはいちいち、その関係を意識しない。
狭い意味での芸術とは、その既成の関係の網をいったん解除し、別様に張り直すことではないか。
つまり、
「関係の網の張り替えそのものを前景化する活動が芸術なのではないか。」
そこまでは、学生時代の私も考えていた。
赤瀬川原平の路上観察に惹かれたことも、李禹煥の《関係項》や菅木志雄の作品に強く惹かれたことも、その考えからすればよく分かる。
そこでは、物そのものを新しく作ること以上に、ものともの、ものと場所、ものと人間との関係が組み替えられていた。
「網が張り替えられた」。
私はそこに芸術を見ていた。
しかし、「張り替えた」で作品が終わってしまった
問題は、その先だった。
この芸術論は、私にとって理論的にはかなりうまく機能した。
だからこそ、逆に失望した。
たとえば、椅子を天井からぶら下げたとする。
普段の椅子は「座るもの」である。
しかし天井から吊るされれば、その用途は解除される。
「ああ、いつもの椅子が、いつもの椅子に見えなくなった」
既成の関係が壊れ、別の関係が立ち上がる。
私の理論なら、きれいに説明できる。
しかし――そこで終わってしまう。
「張り替えた。
なるほど。
終了。」
そんな感覚があった。
作品について誰かに語ろうとすれば、語れてしまう。
「これは椅子の既成の用途を解除し、物と空間との関係を再構成した作品です」
そう説明すれば、かなりの部分が済んでしまう。
そして一度その仕掛けを理解してしまえば、私は必ずしもその作品をずっと眺め続けたいとは思わなかった。
そこに、自分の芸術理論の限界を感じた。
私にとっては、李禹煥の《関係項》のように「関係」という問題が明確に前景化する作品に強く惹かれる一方で、《点より》や《風より》のような作品には、それとは違う魅力があった。
何をしている作品なのかを説明しても、まだ何かが残る。
また見たくなる。
見続けても、説明した言葉の中に作品が全部回収されてしまわない。
私が求めていた芸術の魅力には、
「関係の網を張り替える」
だけでは説明できない何かがある。
学生時代の私は、そこにぶつかった。
何かが足りない。
しかし、その「何か」が何なのかは分からなかった。
この問題については、今ここで無理に答えを出さないほうがいいと思う。
李禹煥や菅木志雄を改めて考えるとき、もう一度ここへ戻ってきたい。
ハイデガーの「存在」は、まだ保留しておきたい
結局、私はまだ、「存在者」と「存在」を分けなければならないというハイデガーの主張に全面的に納得したわけではない。
道具のあり方についても、
「存在の仕方が違う」
と言うより、
「世界との関係の仕方が違う」
と言ったほうが、今の私には分かりやすい。
しかし、もしハイデガーがその「関係の仕方」まで含めて存在のあり方と呼んでいるのなら、少なくとも道具論について感じていた違和感はかなり小さくなる。
そして何より、
「私たちはまず裸の物体に出会い、そのあと意味を付与するわけではない。最初から何らかの世界の中で、何かとして存在者に出会っている。」
この指摘は、私自身の世界観とも思いのほか近かった。
前回、谷徹『これが現象学だ』を読みながら、言語以前の世界を単なる無差別なカオスとして考えることができなくなった。
言語以前にも、差異やまとまり、時間的な厚みがすでに生成している。
そうであるなら、世界形成はlangageによって無から始まるのではない。langage以前にも、何かはすでに生成し、際立ち、まとまり始めている。
そして今度はハイデガーによって、われわれの日常世界そのものも、単なる物体の集合として考えることが難しくなってきた。
われわれはすでに、関係の張り巡らされた世界の中にいる。
その二つのあいだに、私が長く考えてきたlangageと芸術の問題がある。
フッサールが、分節のさらに手前にある生成へ降りていくのだとすれば、ハイデガーは、われわれがすでに生きている意味と実践の網を記述しようとしているように見える。
そして私は、その網を人間はいかに張り替えるのか、というところまでは考えていた。
しかし、そこで一度止まった。
「なぜ、ある作品は世界の網を一度張り替えただけで終わるように感じられ、ある作品は、いくら見てもなお何かを生み続けるのか。」
その問いが残ったからである。
まだハイデガーとの議論も始まったばかりだ。
この先には、「ひと」、空談、不安、被投性、死、そして時間が待っている。
そして芸術についても、昔止まった場所から、もう一度考え直すことになりそうだ。
もう少し、ハイデガーと付き合ってみようと思う。
参考文献・参照箇所
仲正昌樹『ハイデガー哲学入門――『存在と時間』を読む』講談社現代新書2341、講談社、2015年。
第1章、とくに「存在」への問い、存在者と存在の区別、世界内存在、道具との交渉、「何のために」の指示連関を主に参照。
谷徹『これが現象学だ』講談社現代新書1635、講談社、2002年。
とくに第4章「世界の発生」、第5章「時間と空間の原構造」を参照。
赤瀬川原平『超芸術トマソン』ちくま文庫、筑摩書房、1987年。
トマソンの観察と、路上観察学へ展開していく発想を参照。
赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編『路上観察学入門』筑摩書房、1986年。
都市の路上にある対象を観察・採集する実践を参照。